ohpc05’s blog

つれづれ。

普通

 

なんの変哲も無い、

普通の家庭に生まれたと思っていた。

 

でも普通ってなんだろう。

歳を重ねれば重ねるほどに分からない。

 

父と母は、平均的な年齢で結婚して、

3人の子を授かった。

 

父も母も学業には強く、銀行勤めに空港勤め。

数学は父に、英語は母に、国語はどちらに

聞いても問題なく教えてくれたから、

塾へ行く必要もなく義務教育は事足りた。

ただ高校受験前には「なんとなく周りが

行ってるから」という理由で頼むと

半年ほど通わせてもくれた。

 

行きたい高校も大学も決まらず

母が程よいところを見繕ってくれて、

奨学金という制度すら知らずに4年間

私立大学に通わせてもらった。

 

どこが普通なんだ。

うちの両親はものすごい人たちだ、と

気付いたのは社会人になってからだった。

 

労働して得られる賃金の具体的な額面。

そして税金やら社会制度やらを学んだの

なんかはつい最近で、知れば知るほどに

子を3人、不自由無く育ててきてくれた

ことへの尊敬と感謝が込み上げてくる。

 

いま、我が家には

認知症を患う母方の祖父がいる。

母はご時世柄もあってか外出を減らし、

ほとんどつきっきりで祖父を見ている。

 

親の介護と分かってはいても、

息が詰まることはゼロではないと思う。

 

たまにスポーツサークルの集まりで

月に3、4回程度、不定期に外出する母。

 

大学に通えず家にいる時間が多い妹か、

在宅ワークの融通が利く私が代わりに

その間の祖父を見ていることが多い。

 

しかし私には、どうしたって上手く

祖父に接することが出来ないでいる。

 

その理由として、第一に違う名前で呼ばれる。

母の従兄弟らしいその名前を聞く度、 

自分が忘れられたことをはっきり

突き付けられる気がして避けてしまう。

 

第二にその態度を察した祖父は、基本的に

私に話しかけてくることはない。

 

妹は介護系の学部に所属しているだけあって

接し方が上手だ。私のように別の名前で

呼ばれているのかは分からないが、

必要時以外にもよく会話をしている。

妹と2人で留守番をする時にはほとんど

任せっきりにしてしまう。悪循環だ。

 

こうなると、祖父と私だけの時が

1番どうにもならない。

 

まず祖父はリビングに来ない。

一瞬顔を出して私しか居ないことを

確認すると、すぐ自室に籠もってしまう。

昼食を出すからと引き留めても断られる。

 

私も私で、また別の名前で呼ばれるのが

嫌なあまり食い下がることもしない。

そしてそのうち母が帰ってきて、

昼食に誘えばリビングにやってくるのだ。

 

本当は、私だって母の仕事を減らしたい。

 

簡単なことだ。母の従兄弟の名前だろうが

なんだろうが聞き流して、妹がするように

優しく話しかければ出来ないはずはない。

 

分かっているのに、やろうともしない。

 

もういない祖母や、父方の祖父母は、

初孫だった私のことをそれはそれは

可愛がってくれたものだ。

 

その私が分からないのか、と、

とてつもなく くだらない自尊心が邪魔なのだ。

 

母の従兄弟たちはみな女子だったからか、

弟のことは誰とも間違えることなく、

未だに名前で呼べる祖父。

酒の趣味も弟が1番合うので話も弾む。

 

妹のことは恐らく名前が分からないが、

いつも優しく接してくれているので

避けることもない。

 

父はまあ、当たり障りの無い会話を

する程度だが、それ以上を求めることは

誰もしない。大黒柱の父に義父の介護を

要求することは今後も無いだろう。

 

私だけだ。

手伝うべき人間で力になれていないのは。

 

これは余談だが、

そもそも手伝うという考え自体がおかしい。

育児に対する世の新米父の考え方と同じだ。

お前の子でもあるのに、母が育てるものでは

ないのに、なぜ「手伝い」気分なんだ。

一緒にやって然るべきことだ。

 

閑話休題

母は3姉妹で、妹が2人いる。

片道1時間強かかる下の妹は介護士で、

週に1度は必ずやってきて祖父を見る。

ついている必要の無い時は、母の家事を

片っ端からこなして夕方には帰っていく。

 

下の妹は片道2時間半もかかるため

頻繁には来られないが、月に1度は

様子を見に来るようにしていて

来た時は同じように母を休ませる。

 

私はどうだ。何をしているんだ。

家事だって出来ることは率先して

代わったら良いのに、母がどうしても

疲れて行き詰まってる時にしかしない。

 

母も家事を手伝わせる習慣が無く、

決して自分からはこちらへ振ってこない。

 

母が入院でもしたらどうするんだ。

別にこれが原因とはいかないまでも、

別の病気やらで入院した時にはこの家は

成り立つんだろうか。

 

結論として、短期間なら成り立つ。

せいぜい1、2週間が関の山だが。

実際去年そのぐらい母が家を空けていた。

 

つまり、やれば出来ることをやっていない。

手伝うことすらしない。どうして。

 

面倒臭い、よりも先に、照れ臭いのだ。

そのぐらい一緒に家事をしてこなかった。

 

もう親孝行が始まって然るべき歳だ。

嫁入りでもしようものなら願っても

出来なくなることだし、今は絶好の機会。

 

頭でここまで分かっていて

それでもやり始められないなんて、

我ながら本当に本当に情けない。

 

人間いきなりたくさんは変われないのだ。

少しずつ変わるために、1日も早く

動き出さなくてはいけない。

 

お盆休みも今日が最後。

初日から始めていれば、と振り返る

ことは好きじゃない。生産性が無いから。

明日から、と言わず今日から始めよう。

 

これは長い長ーい宣誓。時折読んで、

今日なにを思っていたかを残しておこう。

喉元過ぎても、熱さを忘れないように。

 

願わくば、私みたいな人たちが少しでも早く、

素直に親孝行が出来ますことを。

 

酉  /  Y u u