ohpc05’s blog

つれづれ。

俯瞰

 

最近よくぶち当たる、物事を俯瞰することの難しさ。

 

自分が良いと思うものを人におすすめするシーンがある。そういう仕事をしているので、当然のこと。

 

それを、どこまで熱心に勧めるのがより多くの人々に響くのだろう、とよく考える。まあ多分、大抵は相手次第なのだろうけれど。

 

盲目的に、私はこれが良い!すごくおすすめ!理由はこう!と言うのもどうかと思うし、

 

迷っている人に対して、私はこう思うけど、好きにしたら良いんじゃない?と言うのも熱量が足りない気がして。

 

営業職に就いて丸1年、まだまだ塩梅が掴めずにおりますが、綺麗事と言われても自分の利より相手の幸せを想える人間でいたいものです。

 

精進。

関心

 

私の中で、嫌いなものランキングのかなり上位に入るイベントが近づいてきました。

 

選挙です。

 

何が憂鬱って、投票をめぐって過激な合戦が繰り広げられること。候補者や支持者ではなく、投票権を持った人々の合戦です。

 

要は、投票へ行く人が放つ、行かない者への非難。そしてそれに対する反論がぶつかり合うのを見るのが、私は毎度憂鬱で仕方ない。

 

全く誇れたことではないのを承知で申し上げると、私は選挙へ行ったことがありません。

 

もちろん投票権は持っています。年齢も達し、前科なども無く、ただただ棄権している。

 

愚かなことだと分かってはいますが、関心が無いのです。本当に、少しも。

 

行っている人のことを尊敬しています。きちんと国と自分たちとのことを考えているのだな、と。

 

ただ、非難されても仕方ないとは思いません。

 

「投票へ行かない奴は、政治に対して文句を言うな!」

 

少し前まで、確かにね〜などと呑気に聞き流していましたが、よくよく考えたら不思議です。

 

たしかに「コロナウイルスへの対策として、こういう法案があるべきだ!!」といった志の高いご意見は投票してから言えば良いなと思うのですが、

 

「どうしてワクチンを打ちたくても打てない人に、早く打ってください!なんて言うのかしら〜」と零しただけでも「つべこべ言うなら投票行け!!」と目くじらを立てられるのは、どうなのでしょう。

 

たとえば。

 

スーパーやコンビニの買い物でビニール袋をもらう人間が「暑い」と言ったら、果たして「環境問題に関心が無いくせに!!」と怒られるのかしら。

 

屁理屈を言っているだけに聞こえるかもしれませんが、至って真面目に、疑問なのです。

 

政治であろうと、環境問題であろうと。関心がある人は確かに素晴らしいと思うけれど、無関心な人を責め立てる権利はあるのかしら。

 

頭ごなしに「どうしてやらないんだ!」と言われた無関心な人々は、関心を持つのかしら。

 

心の距離が開いていくばかりなので、攻撃せずに優しく手招きしてくれたら良いのになあ、と思う甘ったれな無関心者なのでした。

 

義務投票制になる前に(なる日が来るかも分かりませんが)、自分から投票へ行こうと思える日が来ると良いなあ。

普通

 

なんの変哲も無い、

普通の家庭に生まれたと思っていた。

 

でも普通ってなんだろう。

歳を重ねれば重ねるほどに分からない。

 

父と母は、平均的な年齢で結婚して、

3人の子を授かった。

 

父も母も学業には強く、銀行勤めに空港勤め。

数学は父に、英語は母に、国語はどちらに

聞いても問題なく教えてくれたから、

塾へ行く必要もなく義務教育は事足りた。

ただ高校受験前には「なんとなく周りが

行ってるから」という理由で頼むと

半年ほど通わせてもくれた。

 

行きたい高校も大学も決まらず

母が程よいところを見繕ってくれて、

奨学金という制度すら知らずに4年間

私立大学に通わせてもらった。

 

どこが普通なんだ。

うちの両親はものすごい人たちだ、と

気付いたのは社会人になってからだった。

 

労働して得られる賃金の具体的な額面。

そして税金やら社会制度やらを学んだの

なんかはつい最近で、知れば知るほどに

子を3人、不自由無く育ててきてくれた

ことへの尊敬と感謝が込み上げてくる。

 

いま、我が家には

認知症を患う母方の祖父がいる。

母はご時世柄もあってか外出を減らし、

ほとんどつきっきりで祖父を見ている。

 

親の介護と分かってはいても、

息が詰まることはゼロではないと思う。

 

たまにスポーツサークルの集まりで

月に3、4回程度、不定期に外出する母。

 

大学に通えず家にいる時間が多い妹か、

在宅ワークの融通が利く私が代わりに

その間の祖父を見ていることが多い。

 

しかし私には、どうしたって上手く

祖父に接することが出来ないでいる。

 

その理由として、第一に違う名前で呼ばれる。

母の従兄弟らしいその名前を聞く度、 

自分が忘れられたことをはっきり

突き付けられる気がして避けてしまう。

 

第二にその態度を察した祖父は、基本的に

私に話しかけてくることはない。

 

妹は介護系の学部に所属しているだけあって

接し方が上手だ。私のように別の名前で

呼ばれているのかは分からないが、

必要時以外にもよく会話をしている。

妹と2人で留守番をする時にはほとんど

任せっきりにしてしまう。悪循環だ。

 

こうなると、祖父と私だけの時が

1番どうにもならない。

 

まず祖父はリビングに来ない。

一瞬顔を出して私しか居ないことを

確認すると、すぐ自室に籠もってしまう。

昼食を出すからと引き留めても断られる。

 

私も私で、また別の名前で呼ばれるのが

嫌なあまり食い下がることもしない。

そしてそのうち母が帰ってきて、

昼食に誘えばリビングにやってくるのだ。

 

本当は、私だって母の仕事を減らしたい。

 

簡単なことだ。母の従兄弟の名前だろうが

なんだろうが聞き流して、妹がするように

優しく話しかければ出来ないはずはない。

 

分かっているのに、やろうともしない。

 

もういない祖母や、父方の祖父母は、

初孫だった私のことをそれはそれは

可愛がってくれたものだ。

 

その私が分からないのか、と、

とてつもなく くだらない自尊心が邪魔なのだ。

 

母の従兄弟たちはみな女子だったからか、

弟のことは誰とも間違えることなく、

未だに名前で呼べる祖父。

酒の趣味も弟が1番合うので話も弾む。

 

妹のことは恐らく名前が分からないが、

いつも優しく接してくれているので

避けることもない。

 

父はまあ、当たり障りの無い会話を

する程度だが、それ以上を求めることは

誰もしない。大黒柱の父に義父の介護を

要求することは今後も無いだろう。

 

私だけだ。

手伝うべき人間で力になれていないのは。

 

これは余談だが、

そもそも手伝うという考え自体がおかしい。

育児に対する世の新米父の考え方と同じだ。

お前の子でもあるのに、母が育てるものでは

ないのに、なぜ「手伝い」気分なんだ。

一緒にやって然るべきことだ。

 

閑話休題

母は3姉妹で、妹が2人いる。

片道1時間強かかる下の妹は介護士で、

週に1度は必ずやってきて祖父を見る。

ついている必要の無い時は、母の家事を

片っ端からこなして夕方には帰っていく。

 

下の妹は片道2時間半もかかるため

頻繁には来られないが、月に1度は

様子を見に来るようにしていて

来た時は同じように母を休ませる。

 

私はどうだ。何をしているんだ。

家事だって出来ることは率先して

代わったら良いのに、母がどうしても

疲れて行き詰まってる時にしかしない。

 

母も家事を手伝わせる習慣が無く、

決して自分からはこちらへ振ってこない。

 

母が入院でもしたらどうするんだ。

別にこれが原因とはいかないまでも、

別の病気やらで入院した時にはこの家は

成り立つんだろうか。

 

結論として、短期間なら成り立つ。

せいぜい1、2週間が関の山だが。

実際去年そのぐらい母が家を空けていた。

 

つまり、やれば出来ることをやっていない。

手伝うことすらしない。どうして。

 

面倒臭い、よりも先に、照れ臭いのだ。

そのぐらい一緒に家事をしてこなかった。

 

もう親孝行が始まって然るべき歳だ。

嫁入りでもしようものなら願っても

出来なくなることだし、今は絶好の機会。

 

頭でここまで分かっていて

それでもやり始められないなんて、

我ながら本当に本当に情けない。

 

人間いきなりたくさんは変われないのだ。

少しずつ変わるために、1日も早く

動き出さなくてはいけない。

 

お盆休みも今日が最後。

初日から始めていれば、と振り返る

ことは好きじゃない。生産性が無いから。

明日から、と言わず今日から始めよう。

 

これは長い長ーい宣誓。時折読んで、

今日なにを思っていたかを残しておこう。

喉元過ぎても、熱さを忘れないように。

 

願わくば、私みたいな人たちが少しでも早く、

素直に親孝行が出来ますことを。

 

酉  /  Y u u

 

糾う

 

禍福は糾える縄の如し

 

とは言うものの、いずれかが続くこともまあ

珍しくはないわけです。

 

千切れちゃったのかな……?

 

不器用が編んだばっかりに、

とびっきり塩梅が悪かったのかも。

 

嫌なことばかりが続いて気が滅入りそうな

日々ですが、反対にものすごーーーく

良いことばかりが続く日々が来るのかも。

 

コロナが蔓延してからのこの1年半が

禍の部分なら、世界中が同じぐらい

長い間福で満たされたら良いのになあ。

 

なんて、大規模なことを考えて

自分の悩みをちっぽけに思おう作戦でした。

 

明日は良い日になあれ。

 

酉  /  Y u u

良作に感謝を

 

パーティーの後片付けは、大変な方が良いよ。

朝起きて、何も変わらない風景だったら

寂しいでしょ?

 

次の朝、

意味なく並べられたワインのコルク。

テーブルに残ったグラスの跡。

みんな楽しかった思い出でしょ?

 

どれも君が、愛に囲まれて

生きている証拠なんだよ。

 

ーー『大豆田とわ子と3人の元夫』より

 

「挨拶って意味ある?」

「雑談って必要?」

「お土産という文化、無駄」

 

みんながやってきた当たり前の社交を

ぶった斬る慎森くんからこんな言葉が

聞けることになろうとは……と涙ぐんだ。

 

かつてのつき子さんの恋人も良かった。

 

- - - -

 

誰だって、心に穴を持って生まれてきて。

それを埋めるためにジタバタして生きてる。

 

愛を守りたい。恋に溺れたい。

1人の中にいくつもあって、どれも嘘じゃない。

 

- - - -

 

ああ、良かったなあ。凄く良かった。

 

元夫に寄ってくる無茶苦茶な女たちや、

胡散臭い4人目候補や、最後の最後に

パッと現れてパッと消えた初恋のやつ。

むきーーーっ、とすることもあったけど。

 

久々に毎週楽しみに観たドラマでした。

連ドラを全話観たのはガリレオ1期以来。

ありがとう、大豆田とわ子。

 

秋ドラマはまだよく知らないけど、

冬ドラマの「ミステリと云う勿れ」は

絶対に観るんだ〜の気持ち。

 

ドラマを観る余裕のある生活、良いね。

 

酉  /  Y u u

 

田中さん

 

が、どう考えても1番好き。

『大豆田とわ子と3人の元夫』の話です。

 

久々に連続ドラマというものを観ています。

途中、何話か見逃してしまいましたが……

最初の夫、田中八作。好き過ぎる。

 

今日は一際好きな台詞がありました。

 

愛してくれるものに合わせるより、

手に入らないものを愛する方が楽しい。

 

もちろん八作さんの言葉。

 

八作さんは、手に入らないかごめちゃん

のことを想ってる時間が、楽しかったのね。

モテ体質で望まずともたくさんの愛が

降り注いでくる八作さんにとっては

さぞかし特別な人だったんだろうなあ。

 

とわ子さん。3人で生きていこう、の

結論に至るまで、一体どれだけ心を

揺り動かしたんだろう。

 

シンシン。お顔があまりにも綺麗で

気が散って台詞聞き逃してばかりでごめん。

 

最終話がどう着地するのか、楽しみ。

 

脈絡が無さ過ぎますが、本日は以上です。

 

たまには思ったことをそのまま書いてみよう、

と、あまり深く考えずに書きました。

 

誰かに見られることを前提に整えて整えて

作った文章をいつも書いていたんだなあ。

だから続かないんだな。と、気付き。

 

もっと気軽に書こう。うんうん。

おやすみなさい。

 

酉  /  Y u u

 

種を蒔く日々

 

という歌が、昔見ていたアニメの

エンディングテーマでありました。

中 孝介さんの優しい声と歌詞が印象的。

 

今日は人間関係の種蒔きの話。

 

仲良くなること → 花を咲かせること

を目的とした人間関係は、下心だと

思われそうな気がしなくもないですが……

 

新入社員ともう少し距離を縮めたい。

趣味の集まりでお友達をつくりたい。

お店の常連として認識してもらいたい。

なんてことない、日常のワンシーン。

 

それらは決して一朝一夕に叶うことはなく、

ゆっくり会話を重ねて、互いを知って、

好意が少しずつ芽生えて大きくなって。

一緒に笑い合える関係になれたなら、

それは紛れもない「開花」ですよね。

 

これらは私の携わるお仕事において、

とってもとっても大切なこと。

 

頭では分かっているつもりでしたが、

みんなが飾っているお花が急に、

猛烈に羨ましくなってしまって。

それを横目に、まだ出ない芽に水を

あげ続ける自分を不安に思ってしまって。

 

それを知ってか知らずか、

同じチームの先輩が声をかけてくれました。

 

私たちは営業マンだけれど、「契約をとる」

ではなく、「お客様に愛してもらう」ことを

お仕事だと思ってみたらどうかなあ。

成績なんて、取ろうと思って取れるものじゃ

ないから。愛してもらって信頼してもらって、

その先でやっとついてくるものだから、と。

私は今までそうしてやってきたんだよ……と。

 

柄にもなく、ぼろぼろ泣いてしまいました。

私が土を耕すことを、種を蒔いて歩くことを、

水をあげて回ることを、見てくれる人がいる。

それを愛してくれる人が、確かにいる。

今の私には何よりも救いになる言葉でした。

 

お仕事への意欲を持ち直すと同時に、

先輩のようになりたいと強く思いました。

明るく快活に過ごし、人をよく観察して、

日常の些細なことから幸せを見つけ出す。

難しいこと。でも出来たら素晴らしいこと。

毎日がもっとキラキラして見えるのでしょうね。

 

これもまた、自分の心にお水と栄養をあげて、

綺麗なお花が咲くまで丹念にお世話をした先に

手に入るのでしょうから、日々精進ですね。

 

着地点が見当たらないのですが……

先輩から素敵なお話を賜ったんですよ、

というご報告でした。皆様にお裾分けです。

 

皆さんの周りに、綺麗なお花がたくさん

咲き乱れる未来をお祈りしています。

 

酉  /  Y u u